伊藤詩織さんと検事2 午前5時からものすごくしっかりと記憶があるの嘘

1 目覚めてからの記憶はしっかりある

 伊藤さんは著書、裁判等で、目覚めてからの記憶はしっかりある。と語っている。また、検事取り調べ時においても1回目、2回目両方で目覚めてからの記憶がしっかりあることを主張をしている。

①1回目 

伊藤 そういう状況になった。ただ、起きたときからは、もうものすごくしっかりと記憶があるので、どういう行為がされていたのかも、自分の体でも、自分の目でも見てますし。

②2回目 

伊藤 その起きたときにはすごくクリアにおぼえてるんですけど

 

2 2回目検事取り調べ

 2回目取り調べにおいて、1回目の伊藤さんの証言の疑問点を検事が質問していた。

(1)ブラウスの着用していたか、濡れていたか、持ち帰ったのかという検事の質問に対してどのような証言をしていたかというと...

 

検事 それは、黒色のブラウスはどうなっちゃうの?

伊藤 は、持ち帰りました。

検事 持ち帰った

伊藤 はい。持っていると思います。ごめんなさい、そのときは、記憶がすごい(####

検事 あと、なんかこう、んー、気持ちが悪くてぬれていたみたいな表現してるけど、なんかそんな感じだったんでしょう、ぬれ方が、結構ぬれてた?

伊藤 ぬ、ぬれていて、それに戸惑っていたら、Tシャツを渡されたので、ただ、正直、それを着たのか着ていないのかっていうのは覚えて、多分着たんでしょうね、ただ、それはすぐ捨てたのは覚えてるんですけど、自分が着たところは、今、想像するのが、ところが、そこが、パッと消えてたんですけど、ただ家に帰って、それを捨てた記憶は、すぐに捨てた記憶は。はい。

 

これが、起きてからはものすごくしっかりと記憶があるの実態です。

 

(2)警察調書に乳首を噛んでいる状況がよみがえった(検事1参照)と書いてあるという話をされた時の証言

 

伊藤 ということ、多分、そのときはあったのかもしれ、これ、ちょっと今その残像が思い出せないんですけど、ただ、その起きたときにはすごくクリアに覚えてるんですけど、それは、そのとき、それよりも今、一番よく覚えてるのは、本当に、浴び、当てられないくらい痛かったので、負担があったので、それを含めて、多分、その起きる瞬間は、残像、もしかしたら起きる瞬間、その直前だったのかもしれないけど、その、かまれてっていうところ、今はっきりと思い出せないんで、それはもしかしたら自分の体にそういう跡があったので、そういうこと、ちょっとごめんなさい、何か、何ていうのか

 

ちょっと何言ってるか分からない♥♥ - YouTube

 

 起きる前の話をしているのか、起きたあとの話をしているのか、よくわからない。 

 

    なぜここまでグダグダになってしまったかについては民事裁判で提出された証拠と照らし合わしながら推測する。

 

    警察が病院カルテを入手したのは6月25日である。

そこには特に伊藤詩織さんに疑問をもっている方々にはおなじみのイーク表参道のカルテも含まれている。カルテには午前2時3時の性行為と記載されている。

つまり、午前5時頃に目覚めた、それ以前の記憶が全くないという主張と完全に矛盾している証拠が警察に把握された。7月3日取り調べでその矛盾を指摘され、その矛盾を回避するために5時以前の記憶がよみがえってきたとその場限りの主張をしたのではないだろうか。 

 

 伊藤さんの午前5時以降の記憶について、彼女が語るような「ものすごくしっかりと記憶がある。」状態ではないことが判明した。

 

 

 

 

伊藤詩織さんと検事1  午前5時に目覚める前に記憶が一切なかったのは本当か。

 1 はじめに

 伊藤さんと山口さんの性行為には同意があったかなかったか。控訴審判決の理由付けあるいは理論構成では、合意があったとは必ずしも言えないことを述べてきた。

 人間の価値観、倫理観は人それぞれである。「本当のことを言っているかどうか」を慎重に丁寧に検討すべきであろう。

 これから、検事秘密録音で検事の前で話した伊藤さんの証言、検事が明らかにした警察での証言、調書を踏まえて、伊藤さんの主張が本当なのか、検証していく。

 そして、読者の皆さんに常に意識して欲しいのは、彼女は「捜査員との会話や、捜査の過程、証拠集めのための取材を詳細に記録していた。」という事実である(AERA 2019年2月4日号)。

 詳細に記録をとり、しかも秘密録音までしていた、その上で著書や民事裁判、尋問等で何を主張したか、驚くべき証言連発である。

 検証をスタートする。

 

 2 意識が回復するまで(目覚める前)まで記憶が一切ないのは本当か

 

(1)著書や、裁判では2度目のトイレに入ってから、下腹部の痛みで目覚めるまでの記憶が一切ないと主張している。

(2)また、性被害者に見られる解離による記憶の消滅や変遷等がないことも尋問で明らかになった。

 本人尋問でのやり取りの一部抜粋

①弁護士 このような忘れ難い記憶というのはトラウマのようにして残りますから、しばらく忘れていたのに後から思い出すということも絶対にないですね。

伊藤 はい。

②弁護士 ということは、くどいようですけど、後から忘れていたけれども思い出したというようなことはないということでいいですね。

伊藤 ありません。

③弁護士 しかも、「Black Box」にかかれているような性的暴行被害の場面での具体的な事実についても警察に申告したということでしたね。

伊藤 はい。

弁護士 あなたの主張を前提とすると、高輪署に刑事告訴した4月11日、あるいは、告訴が受理されたと思われる4月30日からはあなたが、「Black Box」を出版した平成29年10月までの2年間以上もの間、ずっと被害状況、つまり、シェラトンホテルの中で何があったかということについて「Black Box」に書かれているような具体的な事実について記憶に残っていたということになりますね。

伊藤 はい。

 

では検事の前でどのように証言していたのだろうか。

 

(3)第1回検事取り調べで、伊藤さんが事件概要を話した時にも、記憶が全く無いと証言

検事 1回目のトイレから20~30分ぐらいだとするでしょう。で、すると、そっから大体、まあ、仮に40分ぐらいとすると、これでもう1時間ちょっと超えてるんだけど、1時間ちょっと越えたあたりで記憶がなくなってるって形なのかしら。

伊藤 そうですね。

検事 うん。これ、もう、本当にその後、全くない状態?

伊藤 全くなくて。

 

 なお、その後の質問で、伊藤さんは目覚める前に重みや下半身の痛みを「残像」として残っていると、「全くない」とは言えないとも思える、微妙な証言をしている。

 

それでは警察の前でどのような話をしていたのだろうか。

 

(4)第2回検事取り調べで検事が、2015年7月3日警察での調書にて以下の事実を主張していたことを明らかにした。

検事 伊藤さんのほうがね、朝方よりも前の記憶のないときにも、あのー、山口がね、私の体に乗って強姦している状況と、山口がね、私の乳首をかんでいる状況がよみがえってきたっていうお話ししてるでしょう。

 

 調書によると、目覚める前の新たな記憶がよみがえってきたことになる。

本人尋問と調書、そして著書との矛盾はどのように考えればよいのだろうか。

 

(なお、著書や裁判との整合性から考えると、乳首を噛んでいる状況、出血する程度の損傷があるのに痛みで覚醒しないのはおかしい。よってこの警察調書での伊藤さんの供述も極めて疑わしい。)

 伊藤さんが自ら提出した証拠で自らの供述の信用性を低下させることになったのである。

 

 

 

 

 

 

 

控訴審判決批判 友人陳述書 終わりと始まり

1 友人(二人)陳述書の2つの信用性について

 控訴審判決では伊藤さんの供述の信用性について、友人に性被害を申告したこと、その内容が著書や裁判で主張した内容と一致していることが度々登場してくる。

 友人陳述書が控訴審判決で最も重要な証拠であるにもかかわらず、その信用性について検討している記載は見当たらない。客観的証拠が乏しい中、友人陳述書が果たして適切なものかどうかが検討されていない事は、公正な裁判を受ける権利の侵害にあたる可能性があるのではないだろうか。そこで、友人陳述書の信用性について検討する。

 まず、友人陳述書の信用性の問題には、大きく分けて2つの観点から検証すべきであると考える。

①1つ目は、友人自体の信用性である。伊藤さんの話をきちんと記憶し、過不足なく陳述できているかが問題となる。また、信用性判断にあたって、伊藤さんとの関係も問題となる。

(注意:なお控訴審判決の論理破綻2で説明したとおり、理論的に友人陳述書の証拠価値が減殺されている)

②2つ目は、伊藤さんの信用性、言い換えると、友人に真実を話しているかどうかである。

2 ①友人の信用性

 友人2人の信用性、についてそれぞれ検討していくにあたって、幼馴染で看護師の友人をS、もう一人をKとする。

 (1)Sの信用性

 Sの信用性については、既にtassさんが詳細に検討している。

看護師Sの陳述書|tass|note

 5月8日に伊藤さんが送信したメールを5月7日に見たと書いている。友人がメールを見たのは本当はいつなのであろうか?信用性に大きな疑問符が付く。

なお、控訴審判決ではタクシードライバーの陳述書について、ドアマンの陳述書や、ホテルの映像という客観的証拠によって、矛盾点が指摘され、その信用性が大きく低下した。同様に、メールという客観的証拠によって、信用性を判断すべきではないだろうか。

 (2)友人Kの信用性

 友人Kについてもtassさんnote

友人Kの陳述書より|tass|note

    紅而さんnoteが参考になる

詩織さんと友人Kの関係についてのアレコレ|紅而note|note

 Kさんの信用性で問題となるのは、伊藤さんとの近い関係性である。

いつ何を言ったのか、詳細にわかる関係でもある一方で、その公正さについては疑問符がつく。

 伊藤さんが2017年5月に記者会見を行った直後、6月8日のラジオ番組に2人で出演している。

 

 (3)両者に共通する信用性についての問題点

 両者の陳述書はそもそも検察審査会提出用に書かれたものである。その時期に同時に著書が執筆されていたことも明らかである。そして、書かれたのが被害申告から2年が経過している。また、2年前に捜査一課において共に調書が取られているようだ。2年前の被害申告内容と、検察審査会時点での主張の差異を峻別できているのか、また記憶が汚染されている可能性もないとはいえないだろう。

 

 

3 ②伊藤さんの信用性 友人に本当のことを話しているのか。

 この点、控訴審判決では、伊藤さん自身の供述の信用性を友人陳述書との一致性に求めている。しかし、前述のとおり、伊藤さん自身の虚偽性によって、友人陳述書を根拠にできないことを控訴審判決は示してしまっている。

 では、伊藤さんの信用性について適切に評価できる証拠はないのであろうか。

 

4 伊藤さんの証言自体がわかる決定的証拠~検事秘密録音

 これまで明らかにしたように、控訴審判決において伊藤さんの供述の信用性を担保する決定的証拠としていた、友人の陳述書について、2つの信用性のいずれにも問題があることが判明した。

 そして、友人陳述書よりもはるかに公正で、伊藤さんの供述の信用性を人を介することなく検討できる決定的証拠、検事秘密録音が、控訴審結審直前に提出されている。

 最近、検事秘密録音証拠を転記された方からご厚意で資料を手に入れることができた。そこには驚くべき伊藤さんの証言が多数あることがわかった。 

 

 

 いままで読んでくれた読者の皆様にお知らせがあります。

 

 実はいままではあくまで序章であり、これから本編の始まりです。

検事秘密録音編をお楽しみに!

 

控訴審判決論理破綻2

1 控訴審判決を要約する

 控訴審判決は全体で200ページ弱に及ぶとても長いものである。

とはいうものの最重要ポイントは比較的シンプルなものだ。

「伊藤さんと山口さんは親密な関係ではない。よって同意性交は考えられられない。

虚偽告訴の動機もなく、被害直後に医師、友人、警察署、などにほぼ一貫して同じ内容を話しているから事実(真実を述べた)だと推認される。」

 「親密性」や「虚偽告訴」の理由が不適切なことは、軽すぎる控訴審判決で既に解説した。

 そして、特徴的なのは、裁判の事実認定において、信用性の根拠に友人の陳述書との一致性が度々登場することである。

 

2 イーク表参道カルテの扱い

 控訴審判決で最も注目されたのが、「イーク表参道カルテ」の扱いだろう。

 控訴審判決は、カルテの信用性を認め、伊藤さんが午前2時頃性行為があったことを医師に申告し、その申告に基づいて医師がそのまま記載した、と認定した。

(伊藤さんは著書、裁判、尋問等では一貫して「明け方」としか答えていない。医師は忙しく誤記をしたのでは?とまで主張している。判決によって確信犯的な嘘つきだと実質的に認定されたことになる。)

 にもかかわらず、判決では実際の性行為が行われた時刻を午前5時頃とした。

理由は要約したとおり親密性がないことによる合意性交の否定、5時頃の被害申告が「ほぼ一貫していることが認められる」、特に友人にほぼ同様の話をしたからとしている。

 そして、なぜわざわざ真実を話さなかった(嘘をついた)のかについては「理由は必ずしも明らかではないものの」と言いつつ、「混乱」を理由とした。

 

ところが、高裁が「混乱」を理由とする事で、決定的な論理破綻をきたすことが判明した。

 

3 混乱状況の中での被害申告は嘘

 高裁は、混乱状況を示す根拠として、被害申告の無い4月6日のメールと、9日の警察の被害申告が挙げている。

 混乱状況があったから、相いれない行動をとった、と考えたようだ。

相いれない行動とは、被害申告をしたりしなかったりした行動を指す。そして相いれない行動≒事実と異なる事(嘘)を申告してしまう余地がある、と言いたいのであろう。(混乱がなぜ嘘をつきになるのかは理由不明という理由付けも意味不明あるが。)

 

確かに、4月6日の整形外科受診においても同じ枠組み(本当は性被害原因なのに、仕事が原因と嘘をついた)で理解できるようにも思える。

 では、いつまで相いれない行動をとっていたのであろうか。

「あの時言ってた君は合格だよって、いうのはどういう意味なんでしょうか?」というメールを4月14日に送信している。

つまり4月14日時点では合格の意味を問うような被害申告を訴えていない(責任を問わない)行動をしている。言い換えると、まだ相いれない行動をとっていたといえよう。

 検事取り調べ(秘密録音)でもこのメールが問題となった。質問に対して、「私が止まっていてあまりクリアな思考ではなかった」と証言しており、14日も混乱していたことが伺われる。

 以上からすると4月4日から少なくとも14日まで混乱により相いれない行動、イーク表参道にて真実と異なる話(嘘をつく)をしたとすると、4月4日から4月14日までの証言、7日、8日の友人へも真実と異なる話(嘘をつく)をしたと考えるのが論理的なのではないだろうか。

 控訴審の理論構成によって、友人に被害申告をした時点では混乱しており、伊藤さん自身が真実を話していない、つまり伊藤さんの虚偽主張の可能性によって、論理的に友人陳述書の証拠価値が減殺した。

 よって、性行為時間につき、カルテ記載時を否定し午前5時性行為とした理由付けからすると、友人陳述書を証拠採用したことは、矛盾した判断と解せざるを得ない。

 

 

控訴審判決論理破綻1

1 午前2時の性行為の否定に午前5時頃のアルコール血中濃度定量を用いる

 山口さんの主張「午前2時頃、合意による性行為」が否定された根拠の1つに、午前5時時点においてもアルコール性健忘の可能性があったことが指摘されている。

 そもそも午前2時頃の主張について、なぜ午前2時頃のアルコール血中濃度定量に基づかなったのかという疑問点がある。

 そして今回重要なのは、5時頃のアルコール血中濃度定量を挙げ、5時頃のアルコール性健忘の可能性を指摘している点である。

 アルコール血中濃度定量に基づくアルコール性健忘の可能性が結果的に重大な論理破綻を招いてしまうことになる。

 

2 控訴審判決の論理破綻

 (1)控訴審判決午前5時頃の性暴力についての事実認定

「被控訴人(伊藤:筆者注)は、覚醒以前には意識がなかったものと認められるから、控訴人(山口:筆者注)は、被控訴人が意識を失っている中、性行為に及んだと認めざるを得ない。

 (2)控訴審の論理破綻

 控訴審が午前5時頃についてアルコール血中濃度推定値、及びアルコール酩酊度を使って指摘しているのは、「アルコール性健忘」の可能性のみである。

 控訴審判決で書かれているアルコール性健忘の内容は次の通りである。

「このような状態(周辺環境に適応し、短期的応答可能、本人記憶ほとんどなし:筆者注)では記憶障害以外の認知機能に異常は少なく、日常的な自動行動は行えるが、正常な論理的思考や合理的判断はできない。」

 とすると、控訴審の判断基準に従うと、午前5時にアルコール性健忘の可能性があるということは、記憶障害以外の認知機能に異常は少ないということになる。

 つまり「意識がない」というそもそも認知機能を喪失している状況を想定することはできないのではないか。

 午前5時頃アルコール性健忘の可能性があることは、その状態よりはるかに酩酊した状態「意識がない」ことを否定する根拠となってしまうという論理破綻をしてしまった。

 控訴審裁判官こそ正常な論理的思考ができていないということになる。裁判官はアルコール性健忘なのだろうか?

 

 3 論理破綻の原因

 控訴審判決が上記のような論理破綻をしてしまったのは、「寿司店2回目トイレから午前5時頃もの凄い痛みで起きるまでの記憶がなかった」ことを認定しなければならなかったことに他ならない。午前2時の性行為の否定にわざわざ5時の話をもってきている背景がここにある。5時「も」記憶がなかったことにしなければ、伊藤さんの供述の信用性が崩れてしまうからである。

 さらに、その事実認定にこだわるのは、山口さんの主張通り、午前2時の性行為があったことを伊藤さんが記憶・認識していた場合、両者が性行為後3時間以上一緒にいたことになり、性行為が不同意であったことと整合性がとれなくなるからである。加えて、控訴審の理論構成によると、アルコール性健忘が否定された場合、午前2時頃に正常な論理的思考や合理的判断ができることになってしまうからである。

 山口伊藤問題をよく知る方々は以上の話から、午前2時の性行為を伊藤さんが記憶・認識していた決定的証拠、イーク表参道のカルテを思い出すだろう。

 次章では、控訴審でのカルテの扱いが更なる論理破綻を引き起こしてしまったことについて説明する。

 

 

 

 

恥ずかしい控訴審判決

1 控訴審判決では、伊藤さんを勝たせたいというバイアスがかかっていることを隠すことなく披露していることが判明した。

 

2 時間の食い違いに関する控訴審判決の判断

 (1)伊藤さんの主張の日付、時間の食い違い

①膝の痛みを感じた日付、時間

著書(4月4日午前5時すぎ)と、友人陳述書(5日昼)及び本人陳述書の時間が異なっている。

(なお、本人尋問時でも初めて膝の痛みを感じたのは5日の昼頃と答えたが無視されている)

②性被害の日付

著書、裁判では4日午前5時頃、新百合ヶ丘総合病院では4月3日と主張。

(まつしま病院では4月3日~4日にかけてと主張これも無視されている)

 (2)これらの食い違いについて控訴審判決の評価

①膝については「本件著書を執筆した当時の記憶と本件行為当時の認識とが、時間的経過等に伴い、若干相違することはあり得る。」

②性被害の日付については「4月3日と誤った申告をしていたことはうかがわれるものの、その他はほぼ一貫して同月4日午前5時頃の性被害と訴えたものと推認するのが相当である。」

 食い違いについて問題にしていないことがわかる。

 

 (3)山口さんの主張の中の時間の食い違い

 「控訴人(筆者注山口氏)は、本件行為が行われた時間について、同日午前2時過ぎ頃からである旨述べるところ、原審の答弁書(15頁)では、同日午前2時又は3時と主張しており、食い違いがみられる。

 「1時間」の相違あるいは「又は」について「食い違い」とマイナス方向で評価している。

 伊藤さんは膝の痛み、性被害にあった日(なお、起きてからの記憶は明瞭であることは再三発言)の「日付」という大きな食い違いについて不問とする一方、山口さんの主張は(性行為の時間を正確に覚えているほうがむしろ不自然ともいえる)「1時間」「又は」という伊藤さんに比べて遥かに小さな差異を問題とした。

 

 3 アルコールに関する証拠の取り扱い

 (1)原審と異なり、控訴審ではアルコールに関して、意見書を使い、客観的に評価しようとする姿勢をみせた。

 しかし、残念ながらまたしてもバイアスのかかった判断をしてしまった。

 (2)山口さんの午前2時頃の性行為とアルコール酩酊に関して

①上記主張について判決では「その時点(午前5時頃:筆者注)でもアルコール性健忘が生ずる可能性が指摘されているのである」としている。

②山口さん側が午前2時の意識が清明であったことに関する手塚意見書については「飲酒による症状は個人差があるため、断言はできないとういうものであるから、これをもって上記の素朴な疑問が解消されるというものではない」(赤字、下線筆者)と書かれている。

 伊藤さんの主張の正当性は「可能性」で認める一方で、山口さん側の主張は「断言」できなければ認めない。同じアルコール酩酊に関する事で「個人差が大きい」ことも判決文に記載があるにもかかわらず、その認定方法に大きなバイアスがあることがわかった。

 

 4 以上からわかるとおり、控訴審裁判官は伊藤さんよりの判断基準に基づいて判断していることを惜しげもなく披露し、しかもそのことを隠そうともしていない。

まさに恥ずかしい控訴審判決と言えるだろう。

 

 5 午前2時頃の性行為について午前5時頃のアルコール性健忘の可能性を使う不思議 

控訴審判決は論理破綻へ

 

 山口さん側の主張、すなわち午前2時頃の合意による性行為を否定するために、控訴審判決では「わざわざ」午前5時頃のアルコール性健忘を持ち出してきた。

 この唐突な意味不明とも思える記載が、控訴審判決の論理破綻を引き起こしてしまうことが判明した。次章で検討する。

 

 

軽すぎる控訴審判決 

1 素朴な疑問の2つの意味

 控訴審判決の構造として、不同意性交があったかなかったか、伊藤さんの供述の信用性と山口さんの供述の信用性を比較し、どちらが真実を話しているか、検討している。

 山口さんの供述の信用性の中で、午前2時頃に伊藤さんが積極的に山口さんに性行為を誘ったのかどうか、裁判官に「素朴な疑問」があるようだ。

そして、「素朴」には2つの意味があると考えられる。

1つ目が、伊藤さんが親密でもないのに性行為をするはずがないというものである。

2つ目が嘔吐後2時間半程度で性行為が誘えるまで回復するのかというものである。

それぞれにつき解説していく。

 

2 親密ではない人とは性行為しないのか

 控訴審判決では、同意性交を否定する理由として両者の関係が「親密」ではないから、としている。

 確かに、裁判官の世界観ではそうなのかもしれないし、当然と考える人もいることは否定しない。しかし、世の中に「愛人契約」「援助交際」「枕営業」など親密性とは何ら関係なく性行為していることがあることもまた、否定できないであろう。

 それでは、伊藤さんが親密ではない人と性行為をする可能性はないのだろうか。

 性犯罪無罪判決を検討すると、少なくとも3件は援助交際、愛人契約など、対価性ある合意ある性行為であった。

 伊藤さんと山口さんとの関係性においても、伊藤さんは就職のため自ら山口さんに接触した。そして山口さんは就職あっせんできうる立場にあったという利害関係性がある。

 また、直後に被害申告をしたことも不同意性交の根拠としているが、無罪事例のうち、被害直後に友人に申告したのが2件、従業員に申告したのが2件あった。直後の被害申告を直ちに不同意性交の根拠とするのは安易であるといえよう。

 さらに、控訴審では、山口さんが更迭される前、つまり就職あっせんをまだできた時点での被害申告であることを虚偽告訴の動機がない理由としている。

しかし、会食時にビザが厳しいと山口さんに言われ、合格を意味するような言葉はあったものの、その後連絡がなかったことから、伊藤さんが不安をつのらせて虚偽申告をした可能性は否定できない。著書にも「内定の事実はなかったかもしれない」と心情を吐露している。

そして、対価性ある性行為の無罪事例3件のうち、2件は援助交際の金銭の支払い約束後、支払前に被害を申告したケースである。 

 以上からすると、伊藤さんが対価性のある合意の性行為がなかったとは言えない状況証拠があったといえる。

 少なくとも「親密性がない」ことから直ちに合意による性行為を否定することはできないものと解する。また、虚偽申告の動機もなかったとは言えない。

 

3 嘔吐後2時間半で性行為ができるまで回復するのか。

 アルコール酩酊の症状に個人差があることは、否定する人はいないだろう。判決文でも「個体差が大きい」と書かれている。

問題はどの程度の個人差があるかであるが、異なる角度から説明すると、アルコール酩酊度はアルコール血中濃度でどの程度説明できるのかについて、定量的に推定することが可能であることがわかっている。

 アルコール血中濃度と酩酊症状の相関関係はおおむね0.5程度である。そして、酩酊症状がアルコール血中濃度でどの程度説明できるかは、相関係数を2乗することで求めることができる(決定係数R^2)。0.5^2=0.25となる。アルコール血中濃度だけで、酩酊症状を推定できないのは明らかであろう。

とすると、アルコール血中濃度で酩酊症状が説明できるのは全体の25%ということになる。

 では、残りの75%にどのようなものが考えられるのか、その他の要因を検討する。

 ①伊藤さんはアルコール遺伝子検査をしており「酒に強い」体質であることが分かっている。

 ②食事をしながらアルコールを摂取している。食事と一緒にアルコールを飲むことで、アルコール酩酊が軽減することは研究で実証されている。

 ③原審尋問で、週3,4回飲酒していること、キャバクラ、ピアノバー勤務経験があることから、習慣的飲酒経験があること。飲酒経験があればあるほど、アルコールに耐性がつき酔いにくくなることはアルコール依存症研究などで実証されている。

 ④アルコール飲酒直後に嘔吐したこと。タクシードライバー陳述書によると、寿司がそのまま嘔吐されていた。寿司店店主によると、トイレから出てきた後も日本酒を飲んでいたこと、以上により、相当程度アルコールが排出されていた可能性がある。

 ⑤メランビー効果

アルコール酩酊の症状が顕著に表れるのは、アルコール血中濃度上昇場面。

午前2時頃は血中濃度下降中である。

 

 ⑥その他酒豪を見たことがない人向けへの動画

嘔吐、意識喪失後3時間半経過した時の状況

【16軒はしご酒】大阪天満で昼から飲んで泥酔 - YouTube

 

アルコール酩酊度の一般的基準が当てはまらない例(大きな個人差)

特に飲酒量から山口さんの主張を否定していた方々(藤宮教授)に見てもらいたい動画

【ファミレス飲み】サイゼリヤでビールを飲む【ADの晩酌】 - YouTube

 

 以上から考えると、午前2時頃にアルコール酩酊から「回復しているように見える」ことは十分に可能性があるといえよう。言い換えると、アルコール血中濃度定量で意識清明を否定することはできない。

 

4 裁判官が素朴な疑問をもつのは、親密な関係がなければ性行為をしないとか、嘔吐するほどの酩酊をした人が2時間半で意識が清明になることは考えられないという、自己の経験のみで判断しているからだと考えられる。「素朴」との言葉遣いは、自らの実社会の経験が乏しい事、事実認定の自信のなさの現れと言えるだろう。

 しかし、もっと大事な事は「素朴」という言葉によって、当事者をより深く傷つけることである。

素朴な疑問で判決が下されてしまった山口さんの心情はいかばかりか、「司法を信じろ」と山口さんのご尊父が遺された言葉の重さと比較して、「素朴」という言葉はあまりに軽すぎる。

 

さらに控訴審の問題を暴いていく。