続 意識問題 伊藤弁護団の恥ずかしい釈明で自らの嘘を立証してしまう

1 意識と記憶の混同

 意識の問題は以前ブログでも 『恥ずかしい判決「意識」の多義性の問題について』として主に判決における意識の問題点について論じた。

 https://lionclover.hatenablog.com/entry/2020/05/07/205425

 

控訴審においても「意識」と「記憶」の混同について当事者間において攻防が続いているようだ。

 

いつもお世話になっているtassさんnoteより

note.com

そのやり取りの中に伊藤弁護団の気になる釈明が見つかったので考察していく。

 

2 伊藤山口両弁護団の攻防

 

3/26山口側弁護団からの求釈明(該当部分のみtassさんnoteから)

 

3 そちらさんは、「意識」と「記憶」を混同しています。「被控訴人が意識を失っていた時間帯は、平成27年4月3日の寿司屋で2回目のトイレに入った後から平成27年4月4日午前5時頃までの間である」と主張する一方で、「本件寿司店で目を覚ますまでの記憶がなかった」などと主張されていて、用語の混同が見られます。意識がないことと、記憶がないことは明瞭に区別されるべき事柄です。そこで、以下の点について釈明を求めます。

  ① 伊藤詩織氏は「意識がない」という用語を、どんな意味で用いておられるのですか?
  ② 伊藤詩織氏は「記憶がない」という用語を、どんな意味で用いておられますか?
  ③「意識がない」と主張される時刻ないし時間帯を特定してください。
  ④「記憶がない」と主張される時刻ないし時間帯を特定してください。

 

4/6 伊藤側弁護団の釈明

 

3 同3項について
 (1) 伊藤氏が記憶を有している時間帯は本件鮨屋で2回目のトイレに入った直後までと、平成27年4月4日午前5時頃以降です。その間のことは全て記憶にありません

 (2) 伊藤氏には(1)の時間帯に、「記憶はないけど意識を取り戻していた時間があった」と主張できる根拠はありません。なので、(1)この時間帯に呼びかけに反応しない意識喪失状態が継続していたのか、一時的に意識を取り戻していた時間があったのかは不明です。仮にあったとしても、その時間帯を特定することは不可能です。

 (3) 本件では伊藤氏は一貫して5AM前後のことの責任を問うているのであって、一方の山口側は(5AMの)行為自体を否認したうえでこの行為が「同意に基づく」と抗弁しているのでもないですよね。山口側はあくまで2-3時頃と主張しているのであって、2-3時は審理の対象ではありませんね。
  なお、2-3時の時間帯のことについては伊藤は記憶にないので、呼びかけても反応しない状態であったかどうかについて、根拠に基づき述べることは不可能です。
                               

   (アンダーライン、赤字強調筆者)

 

3 伊藤弁護団の恥ずかしい釈明

 

(1)意識がないについて

 伊藤弁護団は意識の意味について、釈明で「呼びかけに反応しない意識喪失状態」との主張をしていることから、アルコール酩酊時等に用いられる「意識」の意味で使っていると考えられる。

 しかし、伊藤氏の著書や、ホテル入室時の状況を「意識がない」とする伊藤弁護団の主張と、釈明での「意識がない」の意味では、論理が整合しない。(「意識」の多義性については拙ブログ参照)

 山口弁護団が主張する「意識」と「記憶」の混同だけでなく、「意識」の意味についても誤解あるいは、狭義と広義の意味の混同がみられる。

 「広義」の意識でないと論理破綻してしまう事を伊藤弁護団は理解していないようだ。

 

 

(2)「意識がない」と「記憶がない」の関係性について

 意識と記憶、両者の意味と関係性、論理構造について説明する。

 まず、伊藤弁護団主張の意味での「意識がない」場合は、記憶がないケースに全て該当するのは当然であり説明不要だろう。

 次に、「記憶がない」場合だが、意識がない場合とは異なり、バリエーションがある。

 ① 記憶がなく、意識もないケース 急性アルコールで搬送される場合等にみられるもの。

 ② 記憶はないが、意識があるケース いわゆるアルコール酩酊によるブラックアウトの状態である。

 記憶がないには意識があるケースとないケースの2パターンがあることがわかる。

 伊藤弁護団の釈明によると、伊藤弁護団は両者の違いについては理解しているようだ。

そして、事件当日寿司店で倒れた時刻以降から午前5時まで両者のどちらの場合だったか「不明」と答えている。

 

 (3)釈明で明らかになったこと

 伊藤詩織さん側が認識していたのは「記憶がない」にすぎず、その時間帯の意識の有無が不明であるにもかかわらず、準備書面(伊藤詩織氏の著書等)で「意識がない」とはっきり記載している。

 すなわち、不明(わからない)事を「意識がない」と書いたことになる。

伊藤氏側の「意識がなかった」との主張は、根拠がない虚偽記載だとの誹りは免れない。

 しかも、伊藤弁護団の主張の「意識がない」とは「呼びかけに反応しない意識喪失状態」である。拙ブログで既に説明したとおり「呼びかけに反応しない意識喪失状態」は重度の急性アルコール中毒のケースであり、病院搬送しなければならない重篤な状態である。

 このような重篤な状態を示す「意識がない」を、そのような状態にあったか不明にもかかわらず主張していることを伊藤弁護団自ら立証したのである。

 

 伊藤弁護団は自らの主張が間違っている事を釈明にて立証していることを理解しているのか、理解に苦しむ。

 

 山口氏を根拠なく悪人に仕立て上げる事に伊藤弁護団も加担していることが明らかになった。伊藤さん側の弁護とはいっても、これほどの悪事が「弁護」という名の下に許されるのだろうか?